2005年08月02日

十二夜における蜷川さんの仕事とは?

自分は年に一本蜷川さんの芝居を見るか見ないかの人間です。でもそんな私でも「何か蜷川さん違わない?」というのは感じました。
そもそもセット転換があんなにある芝居を、少なくともここ2、3年自分が見た限りでは蜷川さんはやっていないと思う。

蜷川さんのシェイクスピア劇だと、自分が最近見たのは昨年12月の「ロミオとジュリエット」なのだけど、藤原竜也と鈴木杏が、舞台を縦横無尽に動き、時には客席にも降り、自分たちの肉体と声を自在に使って、シェイクスピア世界を表現してました。大幅なセット転換は無し。いたってシンプル。
結局舞台に上がっている役者をとことん信用し、また信用に足りる役者であり、それだけの稽古を演出家としておこなってきたのでしょう。

で、今回の十二夜なのだけど、一幕はやたら転換ばかり。役者は動かず、立って台詞を言うばかり。肉体を全然使っていない。

私にはこの演出の意図がさっぱり判らない。実際つまらなかったし。ついでに二幕冒頭獅子丸の踊りも意味不明。ここで踊りを入れるから、獅子丸の切ない恋心をアピールするとか、もっと効果的な使い方があるでしょう?(琵琶姫の恋、最後まで伝わりにくかった。)
二幕二場、中庭の辺りから、ようやくおもしろくなってきて、一幕とは一転、シンプルになったセットが生きていた。

自慢の鏡も結局芝居全体からみた位置づけが判らない。鏡、舞台、いっぱいの桜の木(阿修羅城にもあったな。)、船、早変わりと、よくもここまでスーパーの手法を揃えたというくらいのオンパレード。これがまた使い方にオリジナリティが無いから、本当に陳腐。

良かったのは時蔵さん。織笛姫(名前の付け方は凄いセンスある。)「ちょっと天然?でも可愛い女」で素敵でした。
posted by 花梨 at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 芝居・古典 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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